今から約二ヶ月前にさかのぼる。

イマリアの城、マリリスは自室の長椅子に座り、グラスになみなみと注がれた赤ワインを一気に飲み干した。
「・・・うっく」
急激に酔いが回りマリリスを激しい頭痛が襲った。体を長椅子に横たえらせ、両手で頭をかかえる。手から滑り落ちたグラスは、二度三度バウンドすると、部屋の隅に転がっていった。
元々、自分は酒に強い人間ではない。だが、最近は酒で気持ちを紛らわせなければ、精神を保ってなどいられない。
私は今、ある男の死を願っている。その男は・・
その時、部屋の扉を叩く音が聞こえた。
{・・・入れ」頭痛をこらえて、マリリスは長椅子に座りなおした。マリリスには誰がこの部屋を訪問するのかはわかっていた。だから今の自分を無理やり隠すようなまねはしない。
「陛下、失礼します。」その声はラキシアだった。魔道騎士であり、王室親衛隊の副隊長を務めている。最近はおもにマリリスの護衛を勤めている。
遠慮がちにゆっくりと、扉は開いた。魔道騎士専用の簡略着を身にまとい、腰には剣を挿していた。
ラキシアの鼻に、酒の匂いが染みた。マリリスの足元に転がる、2本のワインボトル。ラキシアは酒に酔いつぶれたマリリスの姿に、深いため息をついた。
「お酒・・もう少し控えていただけないかと。国王陛下も心配しております。」ラキシアは部屋の隅に転がったグラスを手に取り、テーブルの上に置いた。
部下の自分を本気で心配する声にマリリスは声を上げて笑ってしまった。
「なんだ、わざわざ説教するためにきたのか。お前も相当な暇人だな。」父に言っておけ、その時がきたらきちんと真面目にやるとな。
ラキシアはそれ以上、酒の事に関してはなにも言わなかった。
なんとなく理由の一部はわかっている分、あまり追い詰めてはだめだと言葉を抑えてはいた。だがラキシアの気遣いも、マリリス自身の言葉で壊された。
「ロキとエレノアの間に男の子が生まれたそうだな・・」
「!」主人の自虐とも思える発言に、ラキシアは驚いた。
「なにを驚いている。めでたい事ではないのか。」マリリスは笑いながら言う。乾いた笑いで。
祝いをなにか贈らねばな。なにか気の利いたものでも考えるか。ラキシアはなにがいいと思う?少し酔いが回っているのかとても陽気な口調だ
マリリスの酒量が目に見えて増えたのは二年前、ロキとエレノアが結婚したときからだ。そして今回、二人の間に子供が生まれた。
「よいのですか・・陛下はエレノア様を。」
「言うな!エレノアが幸せに生きているのなら、私には口を挟むことではない。それに・・私には彼女を守ることなど出来ないのだからな。
それと、父に伝えておいてくれ。もう酒は当分ひかえると。私はイマリアの王になるのだからな。少しは自覚を持たなければ。
その言葉を聴いて、ラキシアは少し安心した。やはり、マリリス様は強いお方だ。
私はしばらく休みたい。下がっていろ。マリリスはラキシアに背を向け、出て行くようにとうながした。
御意、そして扉を開き出て行こうとしたが・・
「待て」ラキシアに背を向けたまま、マリリスはラキシアを呼び止める。
「お前は以前、私に忠誠を誓うといったな。今でもその気持ちは変わらないか?」突然の言葉に、ラキシアは一瞬言葉に詰まるがすぐに背筋を伸ばし、右の拳を左胸に置いた。
「私は魔道騎士としてイマリアに拾われた恩義があります。陛下のお心は私の心。それは、生涯変わりません。」そして、ひざまづいた。
「ならもし・・私が・・・ロキを殺してくれといったら、お前はどうする?」マリリスは何の抵抗もなく言い切った。
(陛下!?)驚きのあまり、ラキシアは声を上げそうになったが、その場の答えにもっともふさわしいと思われる言葉で返した。
「・・・その時は、陛下のお心のままに」ラキシアは息を呑んだ。もしかしたら、自分はとんでもない答えをしてしまったのではないかと・・
「お前の忠義、とどめておくぞ。」
ラキシアが出て行くまでの間、マリリスはとうとう一度も振り返ることはなかった。

ラキシアは国王陛下に報告を済ませたあと、魔道騎士の訓練施設へ足を運んだ。
彼の仕事は、王室親衛隊の副隊長という仕事だけではない。全国から魔道騎士の子供たちを保護して、教育をほどこしていた。それはラキシアが本職と同じくらいに力を入れている事だ。
ラキシアがこの城に来る前、魔法を使えないものいうことで実の親からさえも、ひどい迫害を受けていた。お決まりのように家を飛び出したあとは、盗みなどをして生き延びていた。時には捕まって、血を吐くほどに殴られたこともあったが
(絶対に・・負けない!)魔法が使えるのがなにがそんなに偉いっていうんだ。
だが、幼い子供の生きていこうという気力も現実のまえでは無力・・
やせ細り、もう立ち上がることも出来ない。・・後は死を待つほかは無い、というところでラキシアはイマリアの騎士・・現在の王室新鋭隊長に拾われた。
とりあえず何かを食べさせて、城で仕事をさせてやると男はラキシアに優しい言葉をかけてくれた。とりあえず、その格好ではゴミと間違えられるぞ!笑っていた。
だが、ラキシアはそう簡単になつこうとはしなかった。城の騎士?どうせこいつも、魔法がつかえるからって威張ってるんじゃないのか。
そのラキシアの思いを察してか、男は自分の正体を打ち明けた。
実はな、私も魔法が使えないんだ。坊主と同じだ。でも、私にはそれに負けない力がある。坊主は、魔道騎士って知ってるか?
ラキシアは首を横にふる。そんなものは初耳だ。すると、男はさびしそうな顔をした。「そうか・・・」と一言つぶやいて。
とりあえず、お前の腹をいっぱいにしないとな!甘いものは好きか?ほら、チョコレートだ。食べろ。
銀紙を剥かれたチョコレートを差し出され、ラキシアはあわてて口の中に放り込んだ。
甘くて、やさしい味がした。はじめてだ、こんなに人にやさしくされるのは。
ラキシアは城に連れて行かれ、身体検査を受けた結果、魔道騎士であることが判明した。それからは、剣術、礼儀作法、一般教養、魔道騎士についての勉強を教え込まれた。
元々、運動神経もよく、素質も申し分ない。男の下でラキシアは魔道騎士としてたくましく成長していった。
城に来てから一年が過ぎた頃、ラキシアは男から、今までいえなかったことを告白された。
実は、お前とはじめてあったとき、ラキシアが魔道騎士だとわかっていた。実は、だいぶ前から目をつけていたんだと。
「この世には、お前とおなじように自分の力の意味もわからず、ひどい扱いを受けているものも多い。私はそんな子供たちを、一人でも多く助けたいんだ。
お前に、私の意志を継いでほしい。その苦しみをわかっているお前なら、きっと出来る。」その言葉は、ラキシアの胸を打った。

それから、ラキシアは仕事の合間をぬって何人ものの魔道騎士を保護した。師匠の言葉を忠実に守り、たくさんの命を救ってきたのだ。
そしていま、ラキシアは三人の魔道騎士を育てている。
広い格闘場で、二人の男が木刀を使って模擬試合をおこなっていた。
「イゴール、ラファエル!」ラキシアは二人の名前を呼びながら、近づいていった。
ラキシアの存在に気が付いたのか、イゴールとラファエルは木刀を下ろした。そして礼儀正しく、ラキシアに礼をした。
二人はともに14歳。イゴールは銀色の髪を肩まで伸ばし、顎の線は少女のように細い美少年。ラファエルは短い黒髪に、身長が約2メートルもあろ大男であった。
イゴールは実の母親に男娼宿に売られ、働かされていたところを。ラファエルはその人並み外れた体格が、周りの人間に恐れられ、牢に閉じ込められていたところを、ラキシアに保護されたのだ。
いまでこそ二人はラキシアに、深い信頼と愛情を向けているが、最初の頃は極度の人間不信に陥っていた。
度重なる差別、悪意ある大人たちによって二人の純粋な魂は、引き裂かれていく。唯一の味方である親でさえも、二人を守る存在ではない。特にイゴールには、痛いほどそのことがわかっていた。
魔力を待たない者に対する迫害は、先の法律改正によって人権は守られるようにはなった。以前よりも、そういう立場の人間には暮らしやすくなっているはずだ。ただ、イゴールやラファエルのを保護した田舎のほうでは、未だに根強い差別が残っている。
自主トレとはいい心がけだ。えらいぞ。ラキシアはラファエルの左手を強く握り、イゴールの頭をなでた。訓練時は鬼のように厳しいラキシアであるが、そのあとは決まって、やさしい言葉をかけてくれたり、励ましてくれる。
「午後からは、俺が稽古をつけてやる。お前たち昼飯はまだだろう。いってこい!1時間後にここに集合。簡易プロテクターと模擬刀の装備でだ。」
「はいっ!」二人は力強く返事をすると、ラキシアの前を小走りで消えていった。
最初に二人に会ったときは、痩せこけて死んだ魚のような目をしていた事を思い出した。いい魔道騎士になってくれそうだ。
あの二人をみていると、ラキシアは昔の自分を思い出すのだ。

(たしか、この辺に)闘技場を後にしたあと、ラキシアは今度、城の中庭へきていた。ラキシアが育てている三人目の魔道騎士。決まってこの時間は、ここにいるのだ。
ラキシアが耳をすますと、たどたどしく本を読むような少女の声が聞こえてきた。
「エリス。またここにいたのか。探したぞ。」
ラキシアは少女・・エリスの前に回って声をかける。突然声をかけられたので、エリスはあわてて本を閉じた。
「ごめんなさい・・ラキシアさま・・」怒られる?エリスは小さな声であやまった。だが、ラキシアはエリスを叱らない。
本を読む練習をしていたのか。偉い子だ。エリスの頭に、ラキシアの手が触れた。エリスは一瞬身を震わせたが、この手は怖くない。自分にやさしさをくれる手だ。
それがエリスにはわかっていたから、彼女の顔には満面の笑みがうかぶ。
「さぁ、勉強はそれくらいにしよう。もう昼飯の時間だからな。イゴールもラファエルももう来てるぞ。」ラキシアはエリスの手をひいて、中庭を出て行く。
本を読むのなら、部屋でも出来るだろう。なぜあんな寂しいところにいるんだ。
「だって・・あたしはまだ、字を読むのうまくないし。」だからひとりで練習していたのか。ラキシアは笑った。
「おかしくなんかないもん!」突然、エリスは叫んだ。ラキシアが笑ったことが、エリスの辛い過去をよみがえらせてしまったのだ。
おとうさんがいってた。お前は魔法もつかえない役立たずのだめな人間だって。お前は生きているだけ無駄だって・・エリスはラキシアの手をはらい、その場に座り込んで泣き出してしまった。
身を小さくして、エリスは声を殺してないた。過去の経験で、声を出して泣くということは痛いことをされるという事なのだろう。
「エリス・・」ラキシアは名を呼ぶと、エリスの体をひょいと持ち上げた。そして肩車をしてやった。
エリスはなにがおきたのかも分らず、一瞬にして泣き止んだ。
「今日だけだぞ。お前に泣かれると、陛下になにがあったかと怒られるのは私だ。」文句をいっているような口調だが、その言い方はどこか優しそうだ。
マリリス様が?
そうだ、陛下はエリスのことを大変気に入っておられる。いまのお前にとって、するべき事は過去を思い出して泣くことじゃない。一日でも早く、立派な魔道騎士になって陛下のお役にたつことだ。
はい。エリスは目を真っ赤にして、素直に返事をした。誰かに必要とされている・・エリスにははじめての喜び。そのことで胸がいっぱいになって、さきほどまでの辛い思いでは、心の奥に消えてしまった。

エリスとの出会いは本当に偶然だった。あれは雪のふる、とても寒い日だったのを覚えている。
マリリスの護衛で地方の視察に向かった帰り、体が凍えるほどの冷たい水の流れる川で、少女が野菜を洗っていた。マリリスがそのこのそばにより、手を見てみると小さな手はしもやけをで痛々しく、紫に変色するほどまでに・・
名前はなんという?歳はいくつだ?聞いてはみるのだが、(知らない)と答えるばかり。それどころか、二人とは目を合わそうともしない。
はなしかけないで。おとうさんにおこられる。
この言葉を聞いた時、ラキシアを押しのけて少女の体を抱いた。わかった・・この子は自分と同じなのだと。あの日、師匠に拾われた私だ!
この子を連れて行きたい。ラキシアはマリリスに頭を下げて頼んだ。もちろんマリリスも同じ気持ちだった。
とりあえずは、この子の両親に会いにいかないとな。その言葉に、少女の体はびくんと震える。よほど酷いことをされているのだろう。
私たちが一緒なら大丈夫だ。
そういって少女を安心させると、家を案内させた。
少女の家はどちらかというか、小屋というほうが正しいかもしれない。よほど貧しい生活のようだ。手っ取り早くマリリスは、自分の身分をあかした。
なぜこんな仕打ちを少女にするんだ。
だがそこには、魔法が使えるものと使えないものとの差、田舎にいつまでも残る厳しい差別の現実を知る。
少女の父親は、昔は地主につかえる優秀な魔道師だったらしい。しかし、少女が生まれた時、その状況は一変する。魔法の使えない子供が生まれた!その噂はたちまちの内に土地に広がってしまった。
陰口を叩かれ、とうとう仕事さえもクビになってしまった。魔法を使えない子供が生まれるとは、どれだけ汚れた血だ。人々は男をあざ笑った。
町にもいられなくなり、いまはこの小屋に引きこもってしまった。
自分がここまで落ちぶれたのも、すべてこの娘のせいだ。殺してしまえ!
手をかけようとした父親を、母は止めた。たとえ魔力がなくとも、自分にはかわいい娘だ。頼むから殺さないでくれと・・
父はその言葉を分ってくれた。ただし・・少女は人間として扱わない。家畜として、飼ってやるということになった。まともな名前も付けてもらえず、まるでペットに付けるような名で呼んでいたのだ。それはとてもおぞましく、言葉にするだけでも、少女には相当な屈辱を与えるはず。
マリリスには何の反論もできなかった。自分の目の届かないところで、こんな差別がおきているとは・・マリリスはすまなかったと、父親に頭を下げと。
相手の都合はわかった。しかし、この子をこのまま置いてくことは出来ない。
そしてラキシアは一か八かの賭けにでた。「この娘は魔道騎士だ。われらはこの子を保護する権利がある。」
地主の下で働いたことがあるのなら、父親も魔道騎士がなんであるかということは知っている。まさか・・私の娘が?
そのことを言われれば、父親も少女を引き渡さないわけにはいかない。娘はイマリアに保護されることになった。それでもマリリスは心が痛んだのか、わずかばかりの金と。別の村に私のよく知る魔道師がいる。そこに行くがいいと、招待状を書いて渡した。
父との思い出は辛いことしかなかったし、家をでることに少女には抵抗はなかったが、自分に優しくしてくれた母親の別れは辛かった。
ラキシアに抱かれて馬に乗ると、少女は(おかあさん・・)と泣いていた。その言葉は、切なく・・悲しい。
ラキシアは少女の体を強く抱きしめ、「大丈夫、絶対に辛い思いはさせない・・」そう少女に話しかけ続けた。

城での身体検査ののち、少女は魔道騎士であることがわかった。ラキシアもマリリスもとりあえずは安心する。
年齢は5歳、名前はマリリスによってエリスと名付けられた。マリリスが小さいころ死に別れた母親の名前だった。

「そういやエリス。お前に頼みたいことがあるんだ。」
「!?」エリスはきょとんとした顔をして、ラキシアの顔を覗きこむ。
「陛下のお世話を頼みたいんだ。昼飯の後でもかまわないからな。」エリスは大きく頷いて、元気よく返事をした。

窓から降り注ぐ日の光によって、今が昼過ぎだとマリリスには確認できた。
朝から何も食べていない。腹が減っているのは理解しているのだが、まだ頭がずきずきと痛み。とても口に物を入れる気分にはなれない。
冷たい水でもあれば・・でも、侍女を呼ぶのも、自分で取りにいくことも今の自分には面倒くさいことでしかない。その時、
扉をノックする音が聞こえた。ラキシアとは違う、とても小さく弱弱しい音だ。マリリスにはその音を叩く者の正体はわかっていた。
といっても、ラキシアの時のようにだらしない姿は見せられない。窓を開け空気を入れ替えると、ぼろぼろになった髪の毛をセットしなおした。そして・・
「エリス、入っておいで」マリリスは自ら扉を開けてやった。
エリスの手にしたお盆の上には、水差しとコップがおかれていた。よほど重いのか、エリスの腕は震えていた。つかさずマリリスはその盆を受け取った。
「あ」
「重かっただろう。さっ、部屋にお入り。」マリリスはエリスの背中を押すと、中に招きいれ扉を閉めた。
「ちょうど水が飲みたいと思っていたところだ。マリリスは水を注いだグラスを手に、それを飲み干した。ようやく頭がすっきりしてくる。
「ありがとう!」マリリスはエリスに感謝の言葉をかけた。その言葉で、エリスの顔は真っ赤になってしまう。
ラキシアさまが・・陛下が多分水を欲しがっているからもっていってあげなさいって・・それと、お酒も控えてくださいって・・いってました
そうか。まったくあの男は策士だな。私がエリスに弱いことを知っていて。マリリスは笑った。
それから、マリリスは色々とエリスと話をする。城での生活のこと。ラキシアは優しくしてくれているか。あの二人とは仲良くやっているのかとか・・
エリスはマリリスの問いに、すべて正直に答えた。
自分はまだ訓練にはついていけるからだでないから、今は礼儀作法や勉強のほうを、ラキシアから教わっているとか。保護したとき、エリスは字を書くことも読むこともできなかった。城に着てからの出来事は、エリスにとって何もかもはじめてのこと。だが、子供特有の柔軟さがすぐにエリスは城の生活になれはじめていた。
ただし・・未だに、マリリスとラキシア以外には心を開こうとしない。特に男性に対しては、エリスははげしく拒絶するのだ。
イゴールとラファエルにも、ラキシアが一緒でなければ会うこともできない。でも二人は、そのことで機嫌を悪くしたりはしない。わかっているのだ。エリスも自分たちとにた境遇なのだと。だから、責めたりすることはしない。
「私・・一日でも早く、立派な魔道騎士になりたいの。そうしたら、陛下のお手伝いもできるし・・」
「エリス・・」
まだ子供だというのに、エリスの瞳には強い決意があらわれていた。それを思うと、じぶんはなんて無意味なことで悩んでいたのだと思った。
自分がロキからエレノアを奪ったとしても、結局自分にはエレノアを幸せにすることは出来ない。危険にさらしてしまうだけだ。それならばやはり・・二人の幸せを影から願うしかない。
「エリスは大きくなったら、どんな大人になりたい?」マリリスの突然の質問にエリスは戸惑う。まだ、そんなことは分らないのだ。いまのエリスには生きることだけが、精一杯なのだから。
「私の、およめさんになる気はないかい?」悪戯っぽく、マリリスは言った。
「・・およめさん!」その言葉に、エリスはまた顔を赤くする。その顔はとてもかわいかった。
マリリスが引き止めたとはいえ、エリスはかなり長居をしてしまった。ラキシアが心配しているからと、エリスは部屋を出て行こうとした。すると・・
「待て」と、エリスを引き止めた。
ちゃんとお使いができたご褒美だ。エリスの両手に、きれいな宝石箱を握らせた。それだけでもエリスには夢のようなのに、マリリスにいわれて中をあけてみると、
「わぁ!」中にはきれいな色のキャンディと、チョコレイトが詰まっていた。
「今のエリスにはお菓子のほうがうれしいだろう?大人になったら、きれいな宝石をいれればいい。大きくなったら、エリスはきっと美人になるから。
エリスはお礼をいうと、大事そうに宝石箱をかかえて、部屋をでていった。

エリスは訓練所へもどる途中何度も何度も宝石箱を開けた。一つぐらいなら食べても・・と思うのだが、物をもらったときはラキシアに報告するのは約束なのでエリスは我慢をした。
その時、エリスの頭の上から声が聞こえてきた。
「こんにちわ・・」男の人の声!エリスは怖くて一瞬身を縮ませたが、ゆっくりと顔を上げ男の顔をみた。
それは・・美しい顔をした青年だった。腰まで伸びたきれいな黒髪。瞳の中心に輝く紫色の光は、たちまちの内にエリスの心をとらえてしまった。
きれいな人・・でも、このお城にこんな人いたっけ?
エリスの心をよんだのか、男は自分がマリリス陛下の客人であるといった。
「いわれた道を間違えたらしく、迷ってしまってね。よかったら案内してもらえないかい?」男は微笑んだ。
(知らない・・)いつものようにそういって逃げてしまえばいいのに、エリスは断れなかった。
エリスは部屋に続く廊下の入り口まで、案内した。ここをまっすぐいけば、男はエリスと同じ目線に腰をかがめる。
「ありがとう。助かったよ。ところで、君の名前は?」
「・・エリス。お兄ちゃんは?」
「私は、カロン。これは私からのお礼だ。」すると・・
「っ!?」カロンの唇が、エリスの左頬にふれた。本当に触れただけだが、エリスには生まれてはじめての衝撃。
カロンが去った後にも、エリスはしばらくその場を離れることができなかった。
この事件は後にも響き、マリリスからもらったお菓子にも、手をつけられないほどに。

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